ポーランド散策記 Vol.13 ~鉄条網の中で 番外~

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 オシフィエンチム駅を15:48頃に出発。
 さらにクラクフを19:04に出発し、およそ6時間ほどをかけてワルシャワへ移動。
 日本国内で移動距離を例えると、午後まで伊勢参りをして、その日のうちに名古屋経由で東京へ戻ったのと同じくらいですね。

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 帰りは5500円位の1等席へ。
 往路で利用したEIPが走る時間帯ではないので、1ランク古い車両のEIC(Express InterCityだったかな?)を利用。
 1等席(グリーン車)は、片方を通路にした6人席のコンパートメントで、頭上の荷物置き場に大型スーツケースが置けるようになっていました。
 テーブルの上にあるのは、1等席のお客さんに配られる飲み物と軽食です。

 EICに揺られてワルシャワに着いたのは夜9時30分頃。
 夜の10時前後にスーツケースを引いて外国の街を歩くのは相当緊張しました。
 ホテルまでの道は、今回の旅で一番神経を使いましたね。
 もっとも、この時間帯はパブが営業しており、思った以上にワルシャワの街は賑やかでしたけれども。

 さて、この日移動時間の間はずっと、アウシュビッツで見たもの聞いたものを反芻させてました。
 
 なぜユダヤ人が虐殺の対象になったのか?
 確信できる答えはありませんが、思い当たる点はいくつか思い浮かびます。

 まずはナザレのイエスを殺そうとしたのがユダヤ人と言う、宗教的な理由です。

 ユダヤ教の教えを非難したイエスをローマ総督のもとへ送った際に、ローマ総督はイエスを殺すのがイヤだったため、死刑囚のバラバを連れてきて、
「イエスとこのバラバのどちらかを恩赦で無罪にするけど、普通これならイエスを無罪にするよな?」 
 しかしユダヤ人達はバラバの恩赦を望みました。
「ならばイエスを殺そうとしたのは、ユダヤ人であり、私(ローマ総督)ではないからな。」

 キリスト教徒が用いる聖書にはこんなエピソードが書かれています。
 そして1000年も1500年も、この聖書をベースに教育が行われました。
 もちろん文字が読めない人々も多いですし、『ローマに考慮したエピソードとも言われている』点を指摘できる歴史に詳しい人などは一般庶民にはほとんどいません。

 となると、キリスト教徒がユダヤ人を見て思う事はひとつでしょう。

「このイエス殺しめ!」 

 さらにローマ帝国により国を滅ぼされ、本籍無しの状態が長く続いたのもユダヤ人にとっては悲劇でした。
 どこへ行ってもよそ者です。
 漁師や農家は先に住んでいる人達が独占しているのでできません。
 
 できるのは移動できる資産を扱う事か、自分の能力だけでなんとかなるものです。
 具体的に言えば商人、金貸し、教師や医者などでしょうか。
 どれも社会界に与える影響は大きくいでしょうし、金貸しなどは不本意にも人の恨みを買う仕事です。
 よそ者に自分達の街の経済を好きにされて気分が良い人などいません。

 最後はヒトラー自身の思考回路です。
 ヨーロッパにも日本のように
「世界はXX(主に人種や団体などが挙げられる)によって操られている。」
 という陰謀論があり、思春期の少年少女が熱く語る事があります。
 日本では大人になっても陰謀論が好きな方が多くて困ってしまいますが、ヒトラーも実はその困った大人だったのです。
 政治界に出るまでユダヤ人の友人がいたという事なので、大人になってから陰謀論病にかかったのだと思われます。

 かくしてヒトラーがユダヤ人虐殺計画を発動し、周囲のヨーロッパ諸国も、
「なんかドイツがやってるらしいけど、どうせユダヤ人はキリスト殺しだし、日頃暴利を貪ってるからいい気味だ!」
 と、あえて何もしなかったのが、これほど犠牲者が出てしまった理由の一つになっています。

 カトリックの指導者であるローマ法王が訪問したのも、おそらくこれらの背景が関わっているのかもしれません。
「イエスを殺したのはユダヤ人かもしれないが、現在生きる彼らにはその罪は無い。」
 という教育を徹底していれば、キリスト教徒のユダヤ人嫌いもまた違ったものになったわけですからね。
(最近のイエスを扱ったお話では、ユダヤ人の部分を強調しないようにしているとか。)

 どれが正解か、確定となるものはありません。
 私も皆さんも、結局は色々な説を調べて自身の中でしっくりくるものを探すしかなさそうですね。 


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[ 2016/09/26 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

ポーランド散策記 Vol.13 ~鉄条網の中で 後編~

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 アウシュビッツを出て、送迎バスでアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウへ向かいます。
 ポーランド語でブジェジンカというこの町は、ドイツ語ではビルケナウという発音になります。
 多くのガイドブックでも紹介されている引き込み線があるのはこちらです。

 建物はアウシュビッツが一番残っており、ビルケナウはドイツ軍が撤退時に多くが爆破され、第三強制収容所のモノヴィッツはすでに存在しません。

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 ビルケナウはアウシュビッツで収納しきれなくなった収容者(主にユダヤ人)の新収容先として建設されました。
 アウシュビッツとは違いかなり突貫工事だったらしく、建物の多くはずさんな作りでした。
 建物はしっかりとした地面の上に建てられたものではないので、中に入ってみると敷かれたレンガは湿地の影響で沈んでいるようでした。

 こんなところに最高で9万人が収容されていたとは。

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 収容所を輸送する貨車が一両だけ展示されています。
 手前の小さなスペースは見張部屋で、貨車から逃げ出した人々を射殺しました。

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 1枚目の写真にある引き込み線を辿っていくと、最後にあるのがこの慰霊碑。
 多くの言語がありますが、日本語バージョンはありません。
 
 ドイツと同盟関係だったからでしょうか?

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 残された建物の中で、主にユダヤ人の子供たちが収容された建物に入りました。
 狭い3段ベッドと湿地の上で無理に敷いた事で凸凹になったレンガの床。
 トイレの時間まで決められた事もあったようです。

 人としての尊厳を奪われた生活は、なんと辛いものであったのでしょう。
 撮影をしながら、気持ちは沈んでいくばかりです。

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 ガス室があったエリア。
 ナチス軍がポーランドから撤退する際に、証拠隠滅の為に爆破しました。

 効率的にユダヤ人を処理する為に、ガス室や焼却炉をまとめて建造したようです。
 それでも足りずに、結局死体は野焼きにされたとか。
 
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 最初は肥料にしていた遺灰は、次第にその量が増えてきてしまい、最終的には敷地内の池に投棄されるようになりました。
 写真右下の四角い石は慰霊碑です。
 小石は、西洋人が「安らかにお眠り下さい」という意味を込めて置かれているものだと思います。
 アウシュビッツの死の壁にも置かれていましたからね。


  
 展示品の2割3割しか観られませんでしたが、これでツアーは終了です。
 ガイドさんは最後にわかりやすい英単語を使い、解説してくれました。
 以降、英語の成績が2だった私の意訳です。


「過去、アウシュビッツの悲劇がありました。
 アウシュビッツは閉鎖された今、もうこのような悲劇は地球上から無くなったでしょうか?
 いいえ、それは違います。

 この地で大量虐殺が行われて70年以上が経った今でも、シリアを始め多くの罪の無い人々が命を落としています。
 今私達がこうやって平和なツアーに参加できるのは、たまたま運が良かっただけなのです。

 多くの人と語り合いましょう。
 そして愛し合いましょう。

 我々は、アウシュビッツの悲劇を繰り返さない事ができるはずです。」



 私はこの日と、ここで観た物を忘れないでしょう。
 そして願わくば、また足を運びたいと思いました。


[ 2016/09/25 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

ポーランド散策記 Vol.12 ~鉄条網の中で 中編~

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 ガイドグループに合流し、みんなでアウシュビッツを見学します。
 資料は実際に使用された建物にテーマごとに展示されております。
 ただし特定の建物ではその建物の歴史を紹介している場合もあります。

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 施設を囲む鉄条網。
 高圧電流が流れており、ここから逃げる事は不可能でした。
 生きる事に絶望した人が自殺に為に飛び込んだ事件もありました。

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 11号ブロック。
 別名は死のブロック。
 地下には餓死牢や立ち牢、実験室があり、後に大量虐殺に使用される毒ガス「チクロン」の人体実験がされていました。

 ここはカトリック教会で聖人となったマキシミリアノ・コルベが殺された(餓死刑のちに投薬)餓死牢です。 
 牢内には花も飾られています。

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 11号ブロックを出ると、10号ブロックとの間に死の壁があります。
 この壁は銃殺刑に使用されました。

 このサイズではわかりにくいですが、壁の下の方には多数の銃痕が確認できます。

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 焼却炉にやってきました。

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 殺害した囚人はこの焼却炉で処理されました。
 見学グループは家族や夫婦で参加されそれぞれ展示品を見ながら何か話す事が多かったのですが、この部屋に来たとたん全員が自然に沈黙してしまいました。
 花束が置かれる事もあるようです。


 ちょっと不思議な話を書きます。

 このガイドグループを探しに行く為に、実はこの建物に入りました。
 自分の所属するガイドを探しに入ったところ、急に凄まじい吐き気が。
 後にガイドさん達と合流し建物を説明するプレートへ連れていってもらったところ、その部屋がガス室だとわかりました。
 ここに人々を詰め込み、毒ガスで一気に虐殺したそうです。

 密封されて酸素が少なかったからか、暑かったからか、吐き気の原因は未だに不明です。


[ 2016/09/24 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

ポーランド散策記 Vol.11 ~鉄条網の中で 前編~

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 オシフィエンチム駅からアウシュビッツ博物館までは歩いて20分。
 余裕を持って到着しているので、バスを使わずのんびり歩いていく事にしました。

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 オシフィエンチムはここが観光地かと思うほど静かな田舎町です。
 時折個人商店があり、それと同じくらいテナント募集の建物があります。

 上の写真は信号機のいらないロータリー、ラウンドアバウト。
 自動車免許か何かをとる時にテキストで読んだシステム、実物を見るのはこれが初めてです。

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 この時期混雑するアウシュビッツ博物館は予約で英語ツアーに参加するか、ポーランド語ツアーに参加するしか選択肢はありません。
 私は午前の英語ツアーに参加。

 日本語のツアーは旅行会社に手配して専属で雇わなければならず、3万円位しますので・・・・・・。

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 開始時間の1時間前に到着し、カフェでポーランド名物「ジューレック」を頂きます。
 酸味のあるスープで、非常に美味です。
 そういえば、3日目にして初めてポーランド名物を食べた気がする。 

 こちらに来られる方は、時間に余裕をたっぷり持ちましょう。
 カフェを使う使わないにかかわらず、博物館内は大きな荷物を持って入る事が出来ません。
(博物館隣には3ズウォティで荷物を預かってくれる施設があります。)

 また荷物を預ける際にはカメラやペットボトルなどは預けないようにしましょう。
 博物館内で水分を補給できる場所が無いので、暑い日などに水分無しで2時間見学・・・などになると大変です。

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 有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の看板です。
 3文字目の「B」は、上下が逆さに付けられています。
 囚人達がせめてもの反抗として逆さにしたとか。

 しかし見にくいアングルでしょう?
 それには理由があるのです。 

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 実は英語のツアーに参加したものの、最初は私が所属するグループに合流できませんでした。
 英語のツアーなのに英語が出来ないというのがそもそもの問題ですが、

「あちらのブロックで待て」と「あちらのブロックにいる」とを聞き間違えました。
 
 それで、
「もういない、もういない! 探さないと!」
 と勘違いし、焦って博物館内で探し始めてしまったのです。

 実際は日本人の性格からか、時間ピッタリに一番乗りで、みなさんは後から来たのですけれども。
 先程のアーチの写真も、探しながら撮影したので酷いアングルになったわけでして。

 日本人1人で、アウシュビッツのフリープレイが開始されました。
 我ながら酷いものです。
 
 なお、しばらく歩いているうちに自分より先に出発したグループの名札を発見。
「ひょっとしたら彼らの道を逆方面に歩けば、私の参加する予定のグループに合流できるのでは?」
 と考えて彼らが来た道を戻ってみたところ、幸運にも自分のグループに合流できました。

 身長が190cm位ある長身の男性に音声ガイドの周波数を設定してもらい、これで改めて見学開始です。
 とても親切な方で大変お世話になりました。

[ 2016/09/23 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

ポーランド散策記 Vol.10 ~炭鉱町へ~

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 9月15日、旅行3日目。
 今回の旅でもっとも重要な目的地、オシフィエンチム駅へ向かいます。

 オシフィエンチム駅へはどのような車両に乗って向かうは検討がつきません。
 クラクフまでの列車が綺麗だったので期待したい所でしたが。

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 オシフィエンチム駅に着いてから車両の外側を撮影したのがこちらです。
 エアコン無し、扇風機無し。
 蛍光灯も暗め。

 昭和だコレ!
 
 自分が子供の頃でも日本ではこんな古い車両ありませんでしたよ。

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 車内はボックス席が5個(5セット)ほど設置されており、短めの車両の5両編成となっています。
 
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 クラクフを出発する時に混雑していたものの、ほぼ全員がクラクフビジネスパーク駅で下車。
 私のボックスは最後まで私一人で座ってました。
 お客さんは1車両に2~3人くらいでしょうかね。

 とうもろこし畑が続くなあ。

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 2時間30分ほど乗ると、電車は終点駅に到着。
 こちらにも臭いがやってくるほど、向こうの線路には大量の石炭が詰まれた貨物列車が並んでいます。

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 オシフィエンチム駅。
 現在は炭鉱で賑わうこの街は、かつてはナチスドイツの占領地となっていました。

 みなさんにはドイツ語での発音の方が有名でしょう。

 ドイツ語でのこの街の呼び方はアウシュビッツ。
 ナチスが生み出した負の遺産が存在していた場所です。

[ 2016/09/22 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)