独眼竜と牛若丸を巡る冒険 Part8(最終回) 平泉 ~ 一ノ関

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 今回の旅最後の目的地は、高館義経堂(たかだちぎけいどう)。
 牛若丸こと源義経の終焉の地でございます。

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 ここに来るまでが大変で、こんなどこが階段だからわからない雪階段を歩いてきました。
 道の左側が人の歩いた跡がありますが、これ私が帰りがけに撮影したもので、足跡の主は私です。
 相変わらず貸切だったので、誰も歩いていないこの階段を足をズボズボさせながら登っていったのですよ。 

 どこに階段があるかわからないので、コケそうになりながらようやく到着。

 そして右側を見かけるとさっきの場所へつながる安全な道路がッ!

 階段を昇る必要は無かったのであった。

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 階段を昇り切ると御堂があり、中には義経の木像が安置されています。

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 御堂の隣にある義経の供養塔。

 奥州藤原氏の三代目秀衡の時代、罪人の子である源義経を受け入れたことで、彼はここを第二の故郷的に親しんでいました。
 兄頼朝の足を政治レベルで引っ張ってばかりの義経に討伐の命令が出た時にも秀衡はこれを受け入れましたが、秀衡が死に4代目藤原泰衡になると、途端に鎌倉幕府に弱腰となり義経を殺害。ほどなく自らも頼朝に討たれ、奥州藤原氏は滅びました。

 3代目の秀衡は義経をむしろ起用し頼朝相手の最高司令官にする作戦を考えていました。
 源平の戦いで大活躍をした義経が敵となれば、
「あの義経殿が敵なのか!」
 なんて、幕府軍もかなり攻めにくくなるからです。
 今でいえば義経は戦略兵器に近いものがあったと思います。

 それをアッサリ殺して首を頼朝に差し出した4代目の泰衡は相当にワカランチンでしょうよ。
 おかげさまで頼朝にとっては、
「ああ、義経がこれで死んだから心配事も無くなったし、攻めやすくなったなあ。」
 と、奥州藤原政権を倒してしまったわけなのですから。
 3代目の秀衡の遺言に『義経は殺さず、手を組んで戦え!』っていうのがあったのにもかかわらず。

 奥州藤原氏の滅亡については、
「相手の言う事を聞いて降参をすれば命は助けてもらえるから。」
 という人に対して、そんなことは無いんだよと私が引き合いに出す事例のうちの1つです。

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 そんなことを考えながら、ふと右手に視線を向けると、眼下には銀世界と北上川が。

 夏草や 兵どもが 夢の跡

 松尾芭蕉が奥の細道でこの歌を作ったのがこの地だと言われています。
 良い眺めですね。

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 平泉は、わんこそばが食べられなかったのが残念無念。

 次の電車が15分後。
 その次が1時間20分後とかなので、さすがに時間の調整が出来ませんでした。

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 平泉からは新幹線に乗るために一ノ関へ。

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 新幹線を待っている間、駅前のお蕎麦屋さんへ立ち寄ってみると、一ノ関名物、曲りネギを丸々使った蕎麦を発見。
 わんこそばは食べられませんでしたが、これはこれで別に美味しい蕎麦です。

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 食後はずんだ餅。
 スーパーで買うのとは随分違う、枝豆たっぷしなずんだ餅に感動。
 冷凍物を買って帰るほどでした。

 最後の最後で名物にありつけた、1泊2日のお手軽な旅でございました。





 そういえば、書くの忘れていた事がありましたね。
 旅行前に紹介したパンフレットとタイトルについての答え合わせです。
 旅のタイトルはもうおわかりでしょうが、表紙のイラストの答え合わせがまだでした。

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 初日の朝食でお邪魔した、半田屋さんのポスターがこれなんですよね。
 この表紙の作品は、秋葉原のスープカレーカムイさんで観る事が出来ますので、秋葉原へお越しの際は是非カムイさんでご覧くださいね。

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[ 2015/02/06 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(2)