名も無き墓標

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 今日は台東区の千束(せんぞく)と言う場所に行ってきました。

 東京に住んでいる方でも、ピンと来る方は少ないでしょう。
 どちらかといえば吉原と言う名称の方が知られている場所ですから。

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 かつて遊郭があったこの地では、現在も多くの大人のお店が軒を連ねています。
 この写真に写っている看板はほとんどがソープランドと喫茶店です。

 喫茶店はいわゆる飲食をメインに扱う普通の喫茶店と、ソープランドの案内をする喫茶店に分かれており、後者のお店では好みのタイプと予算を伝えるとお店の手配をしてくれるそうです。喫茶店を使用するお客さんには無料で案内する代わりに、お店からマージンを取るらしく、ソープランド側からはあまり歓迎されていないと聞いたことがあります。
 そんな話を聞いていた私は両方の喫茶店の区別はどうしているのか気になっていて観察していたら、案内する喫茶店はお店の前に店員さんが立っており、通りかかる男性に片っ端から声をかけていたので、すぐにわかりました。

 性病クリニックの看板も、千束ならではの光景でしょうか。

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 ここまでお読みいただき桃色な日記を期待していたお客さんには大変申し訳ありませんが、実は今日の目標は遊郭ではなく神社。
 それも悲劇のあった史跡でございます。

 本日のお目当ては、吉原神社と吉原弁財天。
 秋葉原へ行く途中の電車の乗り換え経路を変えると途中下車でここに行くことができるので、一度来たいと思っていました。
 かつてここには、関東大震災で大きな悲劇が起こった弁天池がありました。

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 戦前、東北では何度も冷害による凶作が続き、その度に少女たちが吉原に身売りされました。
 上の写真は昭和9年頃に売りに出された農村の娘達です。

 1月の旅行のテーマとなった奥州藤原氏時代には鉱物や動物の毛皮など、現金収入が多かった東北。
 それも時代が進むにつれて米生産がメインになり、貧しい地方となってしまったと聞いたことがあります。
 もともと南国の植物であるコメを寒冷地で作るのは難しいのでしょう。

 この問題は戦後、化学肥料や品種改良が盛んになる事で解決されます。
 私が化成肥料や遺伝子操作に悪いイメージを持ってないのは、こういう貧しい生活を物の本で多く読んでいるからかもしれません。
 天然にある品種だけで、肥料や農薬を使わないと、やはりこのような貧しい生活となってしまうわけです。

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 そんな不幸な遊女たちを襲ったさらなる大災難が、関東大震災でした。
 元々身売りで来た人材の多い吉原では、職場から逃げ出さないように出入り口を吉原大門(1枚目の写真ですね)だけに限定しており、関東大震災時にも大門は閉まっていたのか、逃げる事の出来なかった遊女たちは弁天池に飛び込みました。
 ところが遊女の数は多く後から後から池に飛び込んだため、窒息死をするものや、火災から逃げられず焼け死ぬ者など数知れず。
 弁天池だけでも490人もの人間が命を落としてしまったのです。

 当時の弁天池で撮影された死体の山の写真はネットでも見られますが、さすがに凄惨過ぎて当サイトでは紹介できない内容です。
 気になる方は一度検索されると良いでしょう。

 現在では弁天池はほとんど埋め立てられ、かつて池のあった地にはこの慰霊碑が立ち、傍らには無縁仏のお墓が建てられています。

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 こちらが現在の弁天池。
 すっかり小さくなり、今ではコイが泳いでいる平和な地となっています。

 死んだじーちゃんは関東大震災時には日本橋におり、子供だった事もあり静岡だか何処かだかに震災疎開をしたという話をしていましたっけ。
 自由に逃げられるじーちゃんでさえも、生前は震度1や2の地震でも一目散に外に逃げるようになってしまったと言うのだから、逃げられなかった遊女の恐怖は想像もつかない物だったのでしょう。
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[ 2015/02/28 18:38 ] 日記 | TB(0) | CM(0)