藤原氏と京の桜を巡る冒険 1日目 Part.5 奈良の大仏の先輩

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 榛原から近鉄で橿原神宮前へ。
 そこからバスに乗り飛鳥大仏前で下車すると、目の前にあるのが飛鳥寺です。

 作ったのは大工さんです。
 うそです蘇我馬子です。

 飛鳥時代の人物、蘇我氏の氏寺になっています。
 日本最古の本格的な寺院だったりもします。

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 そしてこちらが飛鳥大仏。こちらも日本最古の大仏で、東大寺の大仏より1世紀近く先輩です。
 まだ大仏のフォーマットが定まっていない事や製作者側に朝鮮からの帰化人(最近では渡来人とも言います)が関わっていることもあり、奈良や鎌倉の大仏とはまた違う趣があります。

 また、庭にある鐘は誰でもつけます。
 飛鳥寺の鐘は清らかな音を発し、つく側が思わず合掌してしまうほど。
 歴史を感じる鐘でした。
 なんといっても世界最古のお寺の鐘ですからね。

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 鎌倉時代初期に落雷火災で多くを焼失し現在は小さくまとまったお寺ですが、当時はこんな大きな寺院だったようです。
 寺院の形態も、現在のお寺とは違いますね。

 今でこそどこのお寺もメインの建物は中央にある講堂だったりしますが、昔の寺院の中央には塔が置かれていました。
 塔の中にはお釈迦様の遺骨、いわゆる仏舎利(ぶっしゃり、お寿司のシャリの語源です。)を納めており、これをサンスクリット語でストゥーパと呼びます。我々が知っている、お墓の後ろに差す卒塔婆(そとば)の由来はこのストゥーパです。

 だけど高層ビルも無い大昔にこんな金属で出来た大きな塔を建てたら、そりゃあ雷だって落ちます。
 多くの寺院の歴史に「雷によって焼失」という文章があるのも、それが理由でしょう。

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入鹿の首塚

 蘇我一族の氏寺である飛鳥寺の裏側には、乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足に討たれた蘇我入鹿の首塚があります。
 このクーデターで天皇家をないがしろにしていた蘇我家が衰退し、今度は入鹿を討った中臣鎌足が藤原姓を賜り一族で天皇家をないがしろにするとは、歴史とは皮肉なものです。



 以下、余談です。

 藤原一族後に長屋王を謀殺して祟りに恐れて東大寺に大仏を造ります。
 そして陰謀に懲りることなく、今度は半世紀後に早良親王を幽閉。
 早良親王はハングリーストライキで無実の罪への抗議をしている間に憤死。
 今度は周囲の病死と飢饉や天災が起こり、祟りから逃げるように都を奈良から京都に移します。

 藤原京から平城京へと遷都した際、大きく遷都活動を行ったのは藤原不比等でした。
 藤原京から平城京へ、さらに平城京から平安京へと、一連の流れ全てに藤原氏の意向が含まれていたのですね。

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[ 2015/04/06 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)