四国の城を巡る小冒険 番外編

 というわけで、今回の旅のキーワード日記を書きます。
 日記にする程じゃない内容を集めた、単語についてコメントしたセンテンス日記のようなそうでないようなイメージでお読みください。

『LCC』
 千葉から四国までは、LCCジェットスターを利用しました。
 LCCなので荷物の制限が厳しく、手持ち荷物2個(7kg以内)との事。
 着替えとスマホの充電機なんかをしっかり用意したら、それくらい簡単にオーバーしてしまいますね。

 実際は何もチェックされずに持ち運びができましたので、混雑時でもなければゆるいのかも?

『新たな天敵』
 今回は跡地も含めて5箇所のお城を巡りました。

 お城は地上戦における拠点で、ただ籠城するのではなく、
「本隊が最終目的を達成しやすいように、多くの敵兵を引き付けておく。」
「敵兵を引きつけておいて、本隊が背後や横から攻撃し挟み撃ちとする。」
 という戦法が有効です。
 関ヶ原の戦いでも東軍の鳥居元忠が1800程の兵で伏見城にこもって西軍の石田光成軍を引き付けていましたし、西軍側では上田城にこもり徳川秀忠を関ヶ原の戦いが終わるまでひきつけていた真田親子が有名ですね。

 そんなお城の防衛も、まったく役に立たなくなってしまう大事件が起きます。
 蒸気船の発明です。
 このおかげで、今まで城が持っていた防衛能力が無力となります。
 なんといっても、多くの兵をのせていきなり江戸城へ行けますからね。

 大きな大砲でお城を狙う事も出来ますし、徳川家康があれだけ苦労して考えた、
「江戸に敵が来ないために活用するお城リスト。」
 みたいなものも、無駄となってしまいました。

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 そして平成の世、黒船に並んでお城の天敵となったのが、ハトです。
 多くのお城の最上階で、長めの良い窓にテグスが張られています。
 
 上の画像は丸亀城の大手一の門。
 門の中に入って見学できるのこちらにもハト対策がされていました。

 私は鳥の歴史に詳しくないのでよくわからないのですが、戦国時代にも今のようにハトが沢山いたのでしょうか。
 天守の最上階や門の中に入ってきて、見張の兵士を困らせていたのでしょうかね。

 兵士A「信長様、信忠様亡きあとは、誰が織田家を継ぐのかのう?」
 兵士B「それよ。清州にて新たな跡継ぎを決める会議があるそうじゃ。」
 ハト「クルッポー。」
 兵士A「どうなっても、おらは見張をしっかりやるだよ。」
 兵士B「そうじゃな。柴田様や丹羽様もおられるしのう。」
 ハト「クルッポ クルッポー。」
 兵士A「クルッポ クルッポー!」
 兵士B「クルッポ クルッポー!」


 こんな感じで。
 
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『丸亀市は優しい!』
 秋葉原だと30分で500円とか600円です。 

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『ご当地女子高生』
 四国では、イラストレーターのしばふ先生がデザインされたような女子高生が多かったです。
 清潔感があり、好印象でした。

 余談として、男子高校生は全体的にスリムで剣道が強そうでした。
 なんとなく坂本龍馬をイメージしますね。

 あ、でもここ高知じゃなくて香川だッ!

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『可愛いポスター』
 何故か西日本には多くあって、東日本には無い。
 東京ではまず見かけない。
 岩手や仙台でも無かった気がする。
 
 何故だろう?
 
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『あと2952体』
 がんばれ♪

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『優しさ』
 丸亀城や今治城の堀にこんな感じの建物がありました。
 よくみたら、中には鳥の巣がありました。
 避難先や産卵場所として用意しているのでしょう。
 
 お城は優しい。

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『湯築城跡武家屋敷にて』
 連歌の会の隣でお茶の用意をしている光景。

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 これ、おいしそうだと思いません?

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 今回の旅に持っていった同人誌がこちら。
『現存12天守へ行こう!』
 旅のプランを考える際にも役に立ちました。

 ただし松山城を造った加藤嘉明が幕府に恐れられて会津へ移封したっていう意見だけは反対でしょうか。
 会津若松は江戸にも近いですし、加増されてますし、どちらかといえば出世でしょう。
 むしろ遠ざけられたのは、元々会津にいた蒲生家の方ではないでしょうかね。 
 秀吉時代から伊達の抑えとしても活躍を期待されていたわけですし。

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『お土産』
 丸亀城の資料を購入したら、刀剣乱舞のカードを2枚もらいました。
 


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[ 2016/01/29 22:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)