京都大阪慰安旅行 Part.1 ~真田丸の足跡をもとめて~

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 今年色々とお疲れ様、という事で、京都と大阪へ旅に出る事にしました。

 あれですね、
「〇月は〇〇で酒が飲めるぞ!」
 的な、なんでもかんでも理由考えて旅に出るパターンです。

 今回の往路は時間が命だったので、快適なのぞみで。

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 京都に到着。
 ここで当サイトのキャラクター結菜をデザインしてくれたフェレさんと合流し、京都を散策致します。

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 まずはバスで京都東山にある豊国神社へ向かいます。
 豊臣秀吉を祭るこの神社は、江戸時代には幕府の命令で廃祀されていた物が、明治維新後に復興。

「徳川家の敵だから廃祀しよう!」
「天皇家の味方だから復活しよう!」

 いかに人の善悪が時代によって変わるかが、よくわかるエピソードですね。
 豊国神社は方広寺大仏殿跡地に再建されました。

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 そして方広寺といえば、大阪の陣のきっかけになった「方広寺鐘銘事件」の梵鐘があるお寺としても有名です。
 実際に行ってみると、少し囲ってはいますが梵鐘は今でも残っています。

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「国家安康」「君臣豊楽」。
 これが徳川家を呪い豊臣家の反映を望む文章ではないか!というのが、家康の言い分です。

 こうやって本物を見ると、歴史を感じます。
 実物はやはり違いますね。

 でも本当に家康が呪いを恐れていたら、仮に私が家康だったとしたらこの梵鐘は即座に破壊します。
 それが今でも残っているという事は、家康側はさほど呪いだとは思って無かったのだと思います。
 
 もっとも地方の小大名として生きるならともかく、大阪城に居続ける豊臣家は、家康から見たら悩みの種であったのでしょう。
 自分が死ぬまでは無力化しようと思うのは、当然の話ではあります。
 その点、豊臣家は秀吉亡き後のかじ取りを大きく間違えました。

 仮に東北あたりの領地にとばされてでも存続が許されていたのであれば、幕末は薩長&豊臣家の連合軍が見られたかも。

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[ 2016/12/16 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

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