行住坐臥

 今月から開催されているブラジルのサッカーW杯。
 日本人のサポーターがゴミ袋を持参して試合後に後片付けをしたというニュースが報道されました。

 こういう行動は日本人サポーターだけで行われたことらしく、世界では高く評価されたそうです。
 また一方では、スタジアムの清掃員の仕事を奪わないようにという意見もあったとか。

 いったい何故日本人は自分たちでゴミを持ち帰ったのでしょう?



 ところで、私は子供の頃は学校の掃除が大嫌いでした。
 なんといっても面倒ですもん。
 昔からサボる理由を見つけるのが得意だったので、
「アメリカなどでは掃除は専門のスタッフがやるのだ。」
 という理屈を武器にしようとしました。

 サボり癖のあるクソガキの理屈に学校の先生からはこのような答えが返ってきました。
「掃除も教育の一環です。」

 それでは、なぜ日本だけ掃除が教育に組み込まれているのだろうか。
 ルーツを知るためには、この言葉もしくはこれに近い言葉をさかのぼり、日本史上最古に発言されたケースをたどれば良いのかも。

 現時点での答えは鎌倉時代で見つけました。
 私がたどった最古の発言者は、道元禅師という鎌倉時代のお坊さんです。
(ここから先は相当端折ってお話します。)

 優秀な人物だった道元禅師は、南宋(中国)へ仏教留学に行きました。
 当時の最先端(≒最新科学)である、禅宗を学ぶためです。
 そこでとても偉いお坊さんに会った際、偉いお坊さんが自分で掃除をしている事に驚きます。

「貴方はなぜ掃除をしているのですか? そういうものは他の人にでもやらせればよいのに。」
 少なくとも、この当時の日本は掃除は掃除係がやるものだった事になります。

 その問いに、偉いお坊さんはこう答えました。
「世の中すべてのものが修業である。炊事も掃除も座禅もすべて。修業を他人にやってもらってどうするつもりか?」
 偉いお坊さんの言葉に衝撃を受けた道元禅師は、帰国後曹洞宗の開祖となり、布教を開始。

「なんでも自分でやろう!」
 という考えは、多くの武士に強い支持を受けました。
 迷いを捨てさる禅の教えと掃除や炊事などを自分でやる自主性を貴ぶ姿勢は、戦闘集団である武士には非常に有用な思想だったのでしょう。
 戦場で係がいないからご飯が作れません、というのでは困りますからね。

「日本人はなぜ自分で掃除をするのか?」
「日本の学校はなぜ掃除を生徒にやらせるのか?」 
 海外から来た方が感じる事が多々あるというこれらの疑問。
 その答えの一つにはなりませんでしょうかね?

 なお余談ですが、道元禅師の『どんな事でも突き詰めれば修業につながる』という考えは時代と共に大衆にも広がります。
 日本に百年以上続く老舗が多いのも、
「商売(お金儲け)も修業のうち。」
 という思想が無ければ、じつはできない事なのです。

「自分は無神論者で無宗教である。」
 と考える前に、ご自身の倫理や正義のルーツをたどると、意外と面白い発見があるかもしれませんよ。

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[ 2014/06/22 20:46 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

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