二度読みの味わい

2016040801.jpg
江戸300藩 殿様のその後(中山良昭)

 昔読んだ本を読み直すと、また違った味わいがある事があります。
 多くの事を経験して、楽しみ方が増えるのでしょうか。
 この『江戸300藩 殿様のその後』もその1冊です。

 前回読了した後、私の趣味に城巡りが増えました。
 すると気になるのが、自分が行った城の大名はどうなっているのかな?という点
 そこで以前図書館で借りたこの本を、自分で買い求めて読み直す事にしました。

 せっかくなので、今まで行ったお城の中でも興味深い大名家のその後を紹介してみましょう。

2016040802.jpg
高松藩 高松城 松平家(水戸家)

 水戸黄門こと水戸光圀の兄、頼重が藩祖。
 光圀は兄ではなく自分が水戸家を継いだ事を悩み、最終的にはお互いの息子を交換することで兄の血を水戸家に残しました。
 なので、こちらは黄門様の血を引き継いだ家系となります。

 最後の藩主頼聡の嫡子頼寿は初代国風盆栽会会長に。
 その孫の頼治はフリーゲージ(新幹線がそのまま従来線の線路を走れるシステム)の開発に携わっておられるそうです。

 なんで盆栽でピンと来たかと言うと、高松公園(高松城跡)に、盆栽コーナーがあったのですよ。
 盆栽のコンテストをお城でやるというのも珍しいなと気になっていたのですが、これで理由がわかりました。

2016040803.jpg
今治藩 今治城 松平家(久松)

 後述する伊予松平家の分家で、昭和十年生まれの子孫である定隆は、『世界まるごとHOWマッチ!』等を手掛けた名プロデューサー。
 奥さんの河内桃子さん(故人)は女優をされておられた方で、『渡る世間は鬼ばかり』や『ゴジラ VS デストロイア』等に出演されていたようです。

2016040804.jpg
伊予松山藩 松山城 松平家(久松)

 徳川家康の異父兄弟からはじまる家系。
 嫡流として明治32年に生まれた久松定武は、愛媛県知事時代にえひめ飲料の果汁飲料に『POMジュース』と命名。
 日本一になってほしいから、ニッポンイチから『ポン』をとったそうです。

 POMジュースは世にある数あるみかんジュースの中でも最も美味しいジュースの中の1つですからね。
 このネーミングが無ければ、今我々も美味しいPOMジュースに巡り合えなかったのかも?と考えると、ありがたい限りです。 

2016040805.jpg
尾張藩 名古屋城 徳川家(尾張)

 歴史の教科書でもお馴染み、徳川御三家。
 8代将軍徳川吉宗時代に吉宗と対立したからか、暴れん坊将軍ではいつも悪役です。

 最後の藩主16代目徳川義宜から3代進んだ19代当主義親は、幕末四賢侯の1人松平春嶽公の息子で、徳川家に養子として迎えられました。
 子供の頃の成績こそ悪かったものの、大学を卒業するときはトップクラスだったという事なので、いわゆる晩成型だったのでしょう。
 また、14代と17代の当主だった徳川慶勝が旧藩士の就職先もかねて北海道八雲に作った徳川農場の経営に携わり、社員がヒグマに襲われないようにヒグマ狩りをしていたそうです。
 この頃、農作業ができない冬の間の収入源を補うために内職として考案したのが木彫りの熊。
 今や北海道の名物となったあの熊は、お殿様が作った物だったのですね。

 戦闘集団だった武士は、江戸時代に入ると次第に官僚化し勉学に勤しむ事になりました。
 おかげで明治維新以降も多くの武士がそのまま新政府の役人や企業の重役あるいは創設者となれたのでしょう。

 子供の頃歴史の教科書で見た、
「武士は明治時代に入り商売などをしたが、武士の商法は上手くいかなかった。」
 という文章が、今となっては不思議でなりませんねえ。

スポンサーサイト
[ 2016/04/08 20:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://honkedoy.blog.fc2.com/tb.php/812-764ab8ea