ポーランド散策記 Vol.13 ~鉄条網の中で 後編~

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 アウシュビッツを出て、送迎バスでアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウへ向かいます。
 ポーランド語でブジェジンカというこの町は、ドイツ語ではビルケナウという発音になります。
 多くのガイドブックでも紹介されている引き込み線があるのはこちらです。

 建物はアウシュビッツが一番残っており、ビルケナウはドイツ軍が撤退時に多くが爆破され、第三強制収容所のモノヴィッツはすでに存在しません。

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 ビルケナウはアウシュビッツで収納しきれなくなった収容者(主にユダヤ人)の新収容先として建設されました。
 アウシュビッツとは違いかなり突貫工事だったらしく、建物の多くはずさんな作りでした。
 建物はしっかりとした地面の上に建てられたものではないので、中に入ってみると敷かれたレンガは湿地の影響で沈んでいるようでした。

 こんなところに最高で9万人が収容されていたとは。

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 収容所を輸送する貨車が一両だけ展示されています。
 手前の小さなスペースは見張部屋で、貨車から逃げ出した人々を射殺しました。

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 1枚目の写真にある引き込み線を辿っていくと、最後にあるのがこの慰霊碑。
 多くの言語がありますが、日本語バージョンはありません。
 
 ドイツと同盟関係だったからでしょうか?

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 残された建物の中で、主にユダヤ人の子供たちが収容された建物に入りました。
 狭い3段ベッドと湿地の上で無理に敷いた事で凸凹になったレンガの床。
 トイレの時間まで決められた事もあったようです。

 人としての尊厳を奪われた生活は、なんと辛いものであったのでしょう。
 撮影をしながら、気持ちは沈んでいくばかりです。

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 ガス室があったエリア。
 ナチス軍がポーランドから撤退する際に、証拠隠滅の為に爆破しました。

 効率的にユダヤ人を処理する為に、ガス室や焼却炉をまとめて建造したようです。
 それでも足りずに、結局死体は野焼きにされたとか。
 
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 最初は肥料にしていた遺灰は、次第にその量が増えてきてしまい、最終的には敷地内の池に投棄されるようになりました。
 写真右下の四角い石は慰霊碑です。
 小石は、西洋人が「安らかにお眠り下さい」という意味を込めて置かれているものだと思います。
 アウシュビッツの死の壁にも置かれていましたからね。


  
 展示品の2割3割しか観られませんでしたが、これでツアーは終了です。
 ガイドさんは最後にわかりやすい英単語を使い、解説してくれました。
 以降、英語の成績が2だった私の意訳です。


「過去、アウシュビッツの悲劇がありました。
 アウシュビッツは閉鎖された今、もうこのような悲劇は地球上から無くなったでしょうか?
 いいえ、それは違います。

 この地で大量虐殺が行われて70年以上が経った今でも、シリアを始め多くの罪の無い人々が命を落としています。
 今私達がこうやって平和なツアーに参加できるのは、たまたま運が良かっただけなのです。

 多くの人と語り合いましょう。
 そして愛し合いましょう。

 我々は、アウシュビッツの悲劇を繰り返さない事ができるはずです。」



 私はこの日と、ここで観た物を忘れないでしょう。
 そして願わくば、また足を運びたいと思いました。


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[ 2016/09/25 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

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