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弘前と仙台と現存天守ファイナルと その6 Reminiscence

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 旅行前日はゲームキャラのお尻の話をしている人間が書くのは恐縮ですが。
 実は今回の旅行で仙台へ来た目的は3.11、2011年3月11日に起きた東日本大震災についての学習です。

 そこでやってきたのは地下鉄東西線の終点、荒井駅。
 この駅につながっている形にあるのが、せんだい3.11メモリアル交流館。
 大震災の写真パネルが展示されています。

 大震災当時にはこの駅は建設中でした。
 おそらくはその後に交流館の建築が決まったのでしょう。

 ボランティアさんによると、震災時は400メートルほど海側にあった高速道路が防波堤になり被害がほぼ無かったそうで、
「もし建設中の駅に直撃したら、無防備だったトンネルを伝って仙台駅まで津波が来ていたのではないか?」
 というお話です

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 施設内は津波で被害を受けて閉校した仙台市立東六郷小学校の建材が使用されています。
 床はこのような教室の床、椅子は家庭科室にあった丸椅子が流用され、津波の記憶を残そうという事でした。

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 施設内にいた女性のボランティアさんは、この左側の集落にお住まいだったそうで、当時の話をたくさん聞かせてくださいました。
 
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 明日の日記はこの赤丸の場所、荒浜小学校へ行ったお話を書きます。
 震災前のこの写真を覚えて頂けると、明日の日記も少しわかりやすくなると思います。

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 震災から7年も経ちますが、今見ても津波の写真はショッキングです。
 
 お話を聞かせてくださったボランティアの方は震災当日老人ホームでお仕事をされており、ホームのご年配の方はとても避難できず、全員を屋上に上げるだけで精いっぱいだったそうです。その後は急を要する方はヘリコプターで、元気な方は水が引いた後に泥だらけになった街を消防隊員に案内されて避難所に向かわれました。
 
 津波対策として引っ越しを余儀なくされたものの、今まで住んでいた土地の買取は、
「津波が来た土地だから」
 と1/3程度の価格で買いたたかれ、新興住宅の真ん中に立てられた仮設住宅へお引越し。
 昔の家も戻れず、ご近所さんとは離れ離れになり、周囲の住宅(震災とは関係のない、子供のいる若い年代の多いマンション層)とも上手くいかず、外に出なくなりひっそり死んでいくご年配の方も多かったとか。

 女性ボランティアの方は、TVでは報道されない貴重な話を30分ほど聞かせてくださいました。
 こういうの、何らかの形で語り継ぐべき話ですよね。

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 しかしながら、こんな津波でも竹林は根っこが残っていたのか、無事なところも少なくなく。
 震災後しばらくすると、海水で全滅した林も多い中に息を吹き返した竹林があったそうです。

 この日は特別展として息を吹き返した竹で作ったアイテムが展示されていました。
 奇跡の一本松風に言えば、奇跡の竹林と表現するのがふさわしいでしょうか。
 竹は地面の根が生きていれば、また生えてくる性質がありますからね。
 
 竹の鳥かごとはとてもオシャレでした。

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[ 2018/09/12 09:00 ] 日記 | TB(0) | CM(0)