FC2ブログ










二・二八事件

2013110401.jpg

 昨年の台湾旅行では行かなかった、二二八記念館。
 近くの博物館に寄ったのにここに入らなかった理由は、二二八事件について調べていなかったからです。
 そのリベンジも含めての、10月の旅行でした。

 館員さんの中に日本語が話せる初老の男性の方がおられ、音声ガイドの説明を丁寧にしていただきました。レンタル料は1000元(台湾ドル=3000円くらい)に設定されています、それはどちらかというと保証金のようなもので、パスポートを預けると無料で借りる事が出来ます。

 この1つ前に行った歴史博物館でも、日本語が堪能なおじさんがいらっしゃいました。
 お二人ともとっても親切で、一人旅の日本人としてはとても助かります。

2013110402.jpg

 いつぞや書いた様に、戦前の台湾は日本の統治下におかれていました。
 地理的に戦火による被害こそ少なかったものの、台湾の方が日本兵として出兵した記録があります。
 私が間違えて行ってしまった宜蘭にはかつて特攻隊の基地がありましたし、台湾総統をされていた李登輝氏は、京都大学で学び戦前は日本陸軍少尉(高射砲隊)に所属されておられました。

2013110403.jpg

 台湾には多くの民族と言語が存在していたので、日本政府は共通の国語として日本語を学ばせていました。
 現地の方にとって日本語を学ぶ事は色々と思われる事もあったのでしょう。

 とはいえ、記念館の資料にはそれほど日本人の悪事!的な事として書いておらず。
「日本が長い年月をかけて日本語を国語にしようとしたのに対し、国民党はわずかな期間で北京語を強制させた」
 とあり、私が当初抱いていた暗黒時代をイメージさせるものではありませんでした。

2013110404.jpg

「二等国民として差別は受けながらも、最終的には選挙権を得て、選挙率が95%にもなった」
 というのが、台湾の日本に関連した歴史として書かれています。
 終戦時はまだ日本領だったので、天皇陛下の玉音放送は台湾でも流されました。
 この頃は日本語が使える台湾人も多く、翻訳無しでも問題なかったようです。

 上記エピソードも含め、二二八記念館は、話を誇張したり、残酷なモニュメントを展示していない施設でした。
「日本や大陸から来た人間はこれだけの悪事をしたのだ!」
 という残酷さを演出せず、戦前も戦後も淡々と資料を展示していくこの記念館のスタイルは、派手さこそ無いものの、かえって物事の本質をリアルに感じ取る事が出来るようです。

 予断ですが、その後の二二八事件の暴動で台湾人側と大陸人(中国からきた国民党)側とで争った際に、
「君が代を歌え」
 というのが、台湾人の間で暗号のように言われていました。
 当時の台湾の方々は君が代を歌えたので、君が代を知らなければ大陸から来た人間だろう、という事だそうです。

2013110405.jpg

 戦後、中国大陸から蒋介石率いる国民党が日本に代わり台湾の行政を引き継ぎます。
 台湾人としては日本時代とそれほど変わらないと思っていたのですが、実際は日本の統治以上に締め付けが多く、賄賂や暴力や不景気やインフレが蔓延し、国全体が荒れてしまったようです。
「日本人は犬だったが、国民党は豚である」
 という当時の批評は、日本人はうるさいがまだ治安は守ってくれるが、国民党は治安すらも乱してしまうのだという意味で、当時の日本に対する心証もまた現在の日本との関係にも影響しているのではないでしょうかね。

 そんな中、1947年2月27日にタバコ売りの女性(違法業者だったが、当時はそれでもタバコを売らなければ生活できなかった)を官憲が摘発した事で、二二八事件の幕開けとなってしまいます。官憲のやり方がひどく民衆が言い寄ったため、官憲側が民衆を発砲して脅かそうとしたところ、まったく無関係の27歳の青年陳文渓氏が射殺されてしまったのです。
(ちなみにこの建物は元々ラジオ局で、事件の際に政府側の暴虐をラジオ放送で広めろと民衆が押し寄せた場所だったので、記念館となりました)

 そのような無実の青年の死をきっかけに民衆の怒りが爆発。
 抗議のデモ隊が台湾全土で発生し、政府がそれに対抗し、無差別発砲や台湾系文化人の処刑を繰り返します。
 日本統治時代に高度な教育を受けた教師や医師などが特に処刑の対象とされたようです。

 上の画像は政府側が民衆への無差別掃射を行った際に、書籍に埋まった弾丸です。

2013110406.jpg

 現段階で判明しているこの事件での死者は28000人。
 今後も調査が進んでいく中で、さらに増えていくだろうと予想されています。

 上の画像は犠牲者リストです。

2013110407.jpg

 そしてこちらが犠牲者の写真。

2013110408.jpg

 銃弾を胸に受け、亡くなられた犠牲者のシャツです。
 血液は年代を経るうちに色素が落ちてしまったそうで、血の色は確認できませんでした。

2013110409.jpg

 そのシャツの持ち主、つまり犠牲者の写真です。
 撃たれて亡くなられた際の、遺体の写真も展示されていましたが、これはご紹介せずとも良いかと思います。

2013110410.jpg

 国民党。つまりは政府側の起こした事件だった事もあり、この事件は長い間タブーとされていましたが、その国民党で本省人(大陸から来た人々ではない事)初の総統、李登輝氏が就任した事がきっかけとして、当時の歴史を見直そうという運動が起こったそうです。

 国民党総統であった独裁者とも評される蒋介石が中心となり、多くの方々が命を落とした白色テロ(保守側からのテロ)を、時を経て、同じく国民党総統の李登輝氏が見直そうと発言するのが、日本人としては不思議でなりませんが、おそらくこれこそが最大多数の幸福の為に運営する民主主義という事なのでしょう。


 最大多数のために
 最大の幸福を求めて


 民主主義はかくもシンプルなものであったのだなと、シンプルな原則をこねくりまわして機能を失っている国の民は考えるのでした。



 日本語の音声ガイドは非常に流暢で故宮博物館の物より出来が良いものでしたし、事件に興味のある方は台湾訪問の際に是非立ち寄られると良いかと思います。
 


【公式サイト】
 台北二二八紀念館



スポンサーサイト



[ 2013/11/04 14:15 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
https://honkedoy.blog.fc2.com/tb.php/40-e3ddd380